花田植のトップ

花田植の概要

花田植の詳細

各地の田植行事

ギャラリー

花田植の詳細

田の神サンバイと神事

 

 

神事のしつらえ〈大花田植・大朝〉 花田植の主目的は田の神に豊穣を願うことです。
 芸北地方では、田の神を「サンバイ」と呼び、「三拝」「三祓」などの字が当てられることもあります。その名の由来は不明ですが、「五月蝿をはらう」「三把の苗」などの音からという説や、「三柱の歳神」や「三度神」を祀ることを指すという説もあります。
 昔は、花田植に限らず田植の季節になると、田の神がやって来て作業を見守り、それが終わるとまた去って行くと考えられていました。この神は、田の神の他、時期により歳神・七夕神・山の神になるという伝承もあります。
 江戸時代に書かれた『芸藩通志』には、安芸地方の風俗として、田植の前に行われた「さんはい祭」の姿が記録されています。「田の畔や水口に幣を立て竹で囲いをして設けた場所に農具を並べ、柏や桐の葉に盛った飯と瓶に入れた酒を供え、作業にあたる男女がそこで田囃と田植歌をする」ということが書かれています。
 また江戸時代の別の記録には、その時すでに絶えていたとしながら、昔は苗三束に素焼の器に入れた酒を供えていたようだとの記録もあります。
 これらの記録を見ると、田植の作業にあたる人たち自身により、田の側で神事が行われていたようです。
 現在の花田植では神事をしないところもありますが、関係者が地域の神社に参ったり、神職による神事が行われたりすることもあります。
 サンバイは神社などに常駐せず、季節に去来する性質を持つ神ですが、現代の「神=神社」という認識が加わった形で、新しい「花田植の神事」が行われているようです。

» さんばい祭

飾り牛

 

牛の道行〈原東大花田植・志路原〉 花田植で代掻きをする牛たちは「飾り牛」「花牛」と呼ばれます。昔は普段の農作業に使っている役牛の中で、姿の良いもの・よく言う事をきくものを選んで使っていました。
 牛たちは、角や体をきれいに磨かれた後、美しく飾りつけられます。これは特別な行事に参加することを示す装いとも考えられます。
 飾り牛の鞍は仕事用の鞍とは違い、「花鞍(飾り鞍)」と呼ばれ、総重量は幟や造花を合わせ、二十~三十kgにもおよぶといいます。
 鞍の他にも首玉・鞍下・輪袈裟や色とりどりの布などが施され、鞍や飾りの形には、その時代の流行や工夫が見られます。
 現在、飾り牛の多くは畜産農家の有志による「飾り牛保存会」のもので、周辺各地に出演しています。この牛たちは日常の農業には使われていませんが、田に入ることや人・楽の音に慣れる訓練をされています。

» 牛の飾りと道具

代掻き

 

代掻き〈大花田植・大朝

 飾り牛を自在に操る代掻きは、花田植の大きな見せ場の一つです。「代掻き」「牛追い」と呼ばれる役の人が、一人で一頭の牛を操ります。
 花田植の時には道具を使わず牛の足のみでするという地域もありますが、多くは馬鍬という道具をつけて行います。
 先頭に立つ牛は「先牛(おもうじ・さきうじ)」と呼ばれ、この役割は代掻きの出来を左右する重要な立場です。そのため、昔は代掻きの上手な人が特別に頼まれて行いました。
 花田植の時には、普段の代掻きとは違う、特別な名前のついた代を掻きました。これは、日常の田植とは違うことの表れでもあり、この代掻きによって普通の田が「祭りの場」になると考えられます。この図案は数多くあり、「代本」などと呼ばれる図案集にその姿が残されています。
 また、現在は見られませんが、歌の上手な代掻きが代掻き歌を歌いながら代を掻いたとも言います。

» 代図の例

田楽団

 

手踊りのついた道行〈原東大花田植・志路原〉

 花田植で歌・楽・田植を担っているのは、地域の人たちです。以前は、実際に田の仕事をしている人が大半でしたが、現在は農業の形も大きく変化したため、手作業で田植をすることはほとんどなく、日常の田植で囃しを行うこともありません。
 そのため、地域で組織された田楽団や保存会が、囃しや歌の継承を行っており、子ども田楽の指導や、体験者の対応にもあたっています。
 田楽団などが組織される以前は、腕に覚えのある人が、あちこちの花田植にその技を披露しに出かけたといいます。今では皆の動きが揃う美しさがありますが、昔は有名な囃し手・歌い手の存在があったのかもしれません。
 衣装等の準備を終えた人々は、道行をして会場となる田へ向かいます。この時、ただ歩くだけではなく、囃しや歌、場合によっては舞のような所作がつけられることもあります。

» 田楽団の道行/田楽競演大会

サンバイ(音頭取り)

 

〈原東大花田植・志路原〉

 音頭取りのことを田の神と同じく「サンバイ」、音頭取りが拍子を取るのに使うササラを「サンバイ竹」と呼ぶのは、祭を取り仕切る神主のような、重要な役割だからだと考えられます。この役は、古くは「歌大工」「田歌師」「三番叟」などとも呼ばれていたようです。
 サンバイには、歌をよく知る上手な人が選ばれました。その音頭で囃しが始まり、それに合わせて早乙女たちが歌いながら田植をします。
 昔の花田植は朝早くから夕方暗くなるまで行われました。時に合った歌を選び、また早乙女や囃しの様子を見ながら色歌・酒歌などを交えて疲れを軽くさせる工夫も、サンバイの腕の見せ所でした。
 反対にサンバイが歌を間違えたら、早乙女や囃し手とは違って斜めに掛けている襷を、早乙女と同じに直して早乙女の列に加わらないといけないとか、早乙女が田植をやめて帰ってしまってもよいとかいう話も残っています。

» ササラ

早乙女

 

壬生田楽団の早乙女

 花田植で苗を植える女性たちのことを早乙女といいます。この「早乙女」は花田植に限らず各地に見られる名称で、多くは田に関する神事や祭で田植をする女性のことを指します。ただ作業として田植をするだけでなく、神に関わる巫女のような役目であるといえます。
 花田植では、サンバイの歌う親歌について、子歌と呼ばれるパートを歌いながら田植を進めます。
 現在、町内の早乙女たちは、田楽団ごとに揃いの衣装を身につけていますが、昔はあちこちから早乙女が出たこともあり、思い思いの着物を着て、田植をしたといいます。
 花田植の日に合わせて機を織り着物を仕立てて参加する人もいて、着物が汚れるとわざわざ着替えることもあったようです。
 また、年頃の娘や新しくやって来た嫁を披露する場所にもなっていました。

» 早乙女/昔の衣装

田植歌

 

 田植歌には、「四万八声」「八万八声」などと言われるほどたくさんの数があります。古くから伝えられたものに、他地域から習ったものや新しく作られたものが加わった結果、これほどの数になったようです。
 芸北地方の「囃し田」が全国に知られるようになったのは、大正期に「田植草紙」の歌が紹介されたことに始まります。以降、田植歌は盛んに研究されました。
 芸北地方の花田植系の行事で歌われる歌は、「オロシ形式」と言われる特徴をもっています。基本的な歌の形として「親歌・子歌」「ユリ(歌・調子)」「オロシ(サゴエともいう)」という基本形が存在します。これらを組み合わせて、音頭取りのサンバイが歌い、続いて早乙女が歌う方法で、進められます。一つの歌を何度かずつ反復し、数曲歌ったところで「腰」という休憩を入れ、早乙女たちは、屈んで田植をする姿勢を直し、腰を伸ばします。
  田植歌は、早朝から昼食までの朝歌、そこから昼過ぎのお茶までの昼歌、さらに夕方までの晩歌と分かれ、それぞれさらに一番から四番までに分れます。
 たくさんの歌の中には、「サンバイを下ろす」「苗取り」「田主を褒める」「オナリ送り」など行事の内容に関係するもの・男女や恋愛のことを歌った色歌(恋歌)・歴史や各地の名勝を歌った歌・風物を歌った歌など様々なものがあります。
 ある時期を境に、色歌は良くないものとしてほとんど歌われなくなりましたが、面白い歌で疲れを癒すとともに、田植関係の行事によく見られる、「多産=豊作」という発想に通じる祈願的な意味も込められていたものと考えられます。
 現在歌われているものは、数多くの歌の中から選ばれ継承されてきたものです。

» 田植歌の例

囃し手

 

〈壬生の花田植・壬生〉

 囃しは、大太鼓・小太鼓・笛・手打鉦の四種類の楽器で構成されています。小太鼓と手打鉦はサンバイのササラに合わせて拍子をとり続け、笛は歌の旋律を奏でます。他の楽器に比べて人数の多い大太鼓は「ツヅミ」「胴」とも呼ばれ、腰につけた太鼓を馬の白い毛の房がついたバチで打ちます。昔は近隣から大太鼓を打つ人が集まり、時には早乙女の数を上回ることもあったそうです。
 囃しには打ち方の種類があり、歌によって決まっています。サンバイの拍子の始まりを聞いて、囃し手達はその歌に合った打ち方をします、拍子ごとに大太鼓が毛房拍子を回したり投げ上げたりする所作も決まっています。
 田植歌に「一に太鼓・二に笛・三にささら・四拍子」というものがあり、この順に楽器を覚えて行くのだとも言います。人数が少ないため一見目立ちませんが、小太鼓・手打鉦による拍子の重要さが伝わります。

» 囃し手の楽器

その他の役目

 

エブリ〈大花田植・大朝〉

 花田植を支える役として、牛が掻いた田を均す「エブリ(エブリツキ)」、早乙女達に苗を配る「苗持ち(苗運び)」、苗を植える目印となる位置に心綱(田植綱)を張る「綱引き」などがあります。
 これらに加え以前は「オナリ」という食事を運ぶ役目の女性たちがいたといいますが、現在では田植の時間が短いため、例え食べ物を配ることがあっても、この役は設けられていません。
 日本各地の田植に関する行事の中にもオナリのような役は存在しており、「ひるまもち」などとも呼ばれています。中には「田主の娘」とか、「嫁入り前の娘」とか、役につく人を限定する場合もあります。ただの炊事係というよりは、神への供物を作って運ぶ神聖な役柄であるためと考えられます。
 また、田楽団や保存会という組織が作られてからのものと思われますが、道行きの前後に草履を管理する役や、田楽団の旗を持つ役もあります。

» 田植の道具

水口のエブリ

 

ムナクトのエブリ〈壬生の花田植・壬生〉

 花田植の最後に「えぶり」を逆さに立て、三束の苗を載せるしつらえが見られることがあります。
 昔は、花田植に限らず、田植の終わりにはムナクト(水口)や苗代田にエブリを立てたといいます。
 これは田植を見守っていた田の神の居場所になるといい、半夏や七夕などの決まった時期になると、神はここから移動すると考えられていたようです。

» エブリ

花田植の食事

 

大花田植(大朝)でふるまわれる朴葉に包まれた黒豆の塩むすび

   唄

 田植歌にも出てくる「チシャもみ」は、チシャの葉を酢に和えて、焼いた鯖などの身を混ぜた、中四国地方の郷土料理です。
 昔の花田植(大田植)は、朝早くから夜遅くまでかかったといい、その間には食事やお茶(軽食)がふるまわれました。大地主が主催するものともなれば、出演者も多く、食事の支度も大変だったようです。
 記録に見られる定番の食べものとには、丸い握り飯に黄粉をまぶした「黄粉むすび」や、黒豆入りの塩むすびがあり、田の中でも食べられるように朴の葉で包んで配られました。
 所によれば花田植の握り飯は「サンバイ」「サンバイ飯」という名前でも呼ばれています。この季節ならではの郷土食であるとともに、儀礼的な田の神への供物・田の神との共食にも繋がるものかもしれません。


関連施設

芸北民俗芸能保存伝承館

[開館時間] 午前9時~午後4時30分
[休館日] 月曜日(祝日と重なる場合はその翌日)
      12月28日~1月3日
[入館料] 大人300円(200円) 高校生100円(50円) 中学生以下無料
※()内は10名以上の団体料金
[所在地] 〒731-1595 広島県山県郡北広島町有田1234
[連絡先] 050-5812-5088 
[駐車場] あり
[交通アクセス]
  高速道路利用 :中国自動車道千代田IC下車
  高速バス利用 :広島駅・広島バスセンター~千代田IC下車
  路線バス利用 :千代田(道の駅舞ロードIC千代田)下車


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


» 花田植の見取り図 (画・金子勲一)